B Corp認証新基準の解説・第4段は公正な賃金。会社経営の根幹であるガバナンス、注目度の高い人権、危機感迫る気候変動対策に続き、こちらも世界においてここ数年で注目度が高まっている生活賃金に関するトピック。人権同様、働くひとの搾取という重要な課題への対処である。現行基準でも生活賃金の概念が含まれていたが、オプショナルなイメージが強かったものを、今回必須要件としてどう定めるか、一筋縄ではいかなかったようだ。
最低賃金とは違う「生活賃金」
賃金といえば、最低賃金というものがあり、これは国が賃金の最低額を保障し、雇用する側はこの最低額を下回る給料を支払っていた場合には法律違反となる。日本における最低賃金法では、目的に「この法律は、賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」と記されている。さらに地域別の最低賃金に関しては「労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」とも明記されている。
つまり最低賃金は労働者側が生活できることと、事業者側の状況の双方を考慮して決まっているのである。搾取が起きやすい労働者側に注目しても、最低賃金を守っていれば何ら問題はなさそうだが、実際のところ最低賃金では生活ができないという声から「生活賃金」という概念がある。特に新興国においては最低賃金が適切に設定されていないこともあり、サプライチェーン全体で取り組むことが重要となっている。
日本においては、日本労働組合総連合会がリビングウェイジを計算しており、資生堂がそれを用いた確認を行なっている他、ユニクロブランドを扱うファーストリテイリングは国際的なベンチマークデータを参照し、進捗状況を把握している。
「生活賃金」遵守の壁
生活賃金は非営利団体などが研究を行い、ベンチマークデータを公表している。国によっては無料で参照できるデータがないため、現行のB Corp認証自己採点アセスメント・BIAでは、例えば日本においては「該当なし」を選択するのみであった。
新基準のドラフトにおいてはデータが無料で入手可能な国は全企業に生活賃金以上を支払うことを必須とし、データが有料でしか入手できない日本などは免除の措置を講じつつも、大企業にはデータを購入し対応することも記載が見られた。ドラフトに対するフィードバックでは、特にアメリカにおいて生活賃金をいくつかの企業が検証したところ、単純比較では企業を正当に評価することができない課題が洗い出された。特に社会保障が手厚くないアメリカにおいて、福利厚生は企業に委ねられており、個別の取り組みに対応した計算でベンチマークデータと比較するのが容易ではないことが判明したのだ。また国によっては最低賃金が生活賃金を上回っていることがあったり、法令遵守以上の高い基準でよりよい企業行動を求めたい一方で、画一基準で測れない難しさが露呈した。
「生活賃金」と「団体交渉権」
従来から生活賃金の追求と労働団体による交渉の2つが共存することは想定されてこなかった。例えば生活賃金を追い求めるあまり逆に従業員の団体交渉権が軽視されるケースもあるようだ。そしておそらくこの逆も然りである。一方で生活賃金はフルタイム従業員を前提としているが、例えば先進国において貧しい家庭にある成人のうちフルタイムで就労できているケースは2割にしかすぎないため、企業が生活賃金以上を支払っていると主張したとしても十分ではない可能性があり、団体交渉ができる余地を残すべきである。
生活賃金データを収集するWage Indicatorは通常有料で情報提供しているが、最近2023年11月から、特に労働組合員向けには無料で閲覧できるようにした。労働者が給与交渉の声を上げられるように支援する形である。B Labでは、生活賃金に関する研究を行うGlobal Dealのレポートなども参照し、生活賃金と団体交渉権の2つを相互に存在しうるものとして捉えると明言している。
「生活賃金」はもう労働者本人だけの生活保障ではない
現行基準ともう1つ異なる点は、生活賃金はもはや個人1人だけの生活を保証するものではなく、家族単位で考慮すべきであるとB Labが言い切っているところである。現行基準では日本は対象外だが、生活賃金に関する質問は従業員本人と、家族を含む場合とで質問が分かれており、従業員本人だけでも必要最低限の生活を送ることができる生活賃金を支払っていれば得点が可能であった。今後B Corpの世界で生活賃金を遵守するといった時には、家族を養えるだけの給与が払われているかという観点になる。
男女の賃金格差も開示だけでは不十分
本トピック「公正な賃金」は、生活賃金のことがメインではあるが、属性による賃金格差も含まれる。日本においては男女の平均給与の差について開示することが、女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(通称:女性活躍推進法)により常時雇用労働者数301人以上の事業体に義務化された。各企業のESGデータに含まれるようになってきているが、イギリスなどでは数年前から新聞にもその結果が掲載され、あまりに差が大きければ非難にさらされることになる。
現行のBIAにも男女など属性別の給与差について分析をし、必要に応じて何か対策を講じているかという質問が出てくる。「うちは給与テーブルについて男女別にありませんよ」と言う経営者もいるが、会社全体で男女別に平均給与額を比較すると、総じて男性の方が高くなるのである。これは日本に限らず世界全体でもその傾向にある。
要は給与が高くなる管理職に男性が多いことが原因になることが多い。しかしそれだけでなく同じ職位の中に給与バンドがあったり、業績の評価によりボーナスが変わる場合に、無意識的に女性の方が評価が下がってしまっている場合もあることに注意が必要である。そして男女だけではなく外国籍であるが故に文化を背景とした考え方の違いで、上司の好き嫌いの色眼鏡で評価されてしまうケースもあるかもしれない。さらには精神障害や学習障害なども個性として受け入れる動きがある中で、その人にとっての能力をどう評価するのか、公平に評価できているのかは深い議論となるであろう。
規模の大きい企業により注目
ドラフトでは大企業向けには、生活賃金データを購入してもらうことが検討されていた。生活賃金データそのものも統計的に優位になるのはある程度の規模になってからとし、今回のB Labの解説記事でも規模の大きい企業(具体的には従業員数250名以上)への要求がより高い。
B Labは下記のように締めくくる。
公正な賃金は、公正で平等な社会の基礎です。これらは個人とその家族に自活手段を提供するだけでなく、より広範な社会的および経済的幸福にも貢献します。
日本は物価高騰の波によって、最低賃金が1000円、1500円の時代になってきた。「パートさん」は小遣い稼ぎ程度でいいと言っているし、フルタイム従業員にはそれなりの給与を支払っているという自覚の経営者が多いと思われるが、格差の広がる社会の中で取り残されている人はいないだろうか、低価格を追い求めるあまりサプライチェーンの中で不当に安い賃金で働かされている人はいないだろうか、B Corpをきっかけとした議論やイニシアティブが期待されている。
※ 本記事はB Labの新基準解説記事を参照して書かれたものです。引用文以外は個人の解釈であり、必ずしもB Lab本部の考えを公式に代弁するものではありません。